3/8

3/8

久しぶりに日記を書きます。

本当に日記を書くのは久々で間が空いてしまったが、この間に引っ越しを終えました。いや、厳密には買った家具の一部が届いていないから完了では無い。机はあるが椅子が無いので、地べたに座ってこたつで日記を書いている。家具付きの物件に住んでいると、その後で引っ越す時に家具をイチから買いなおさなければいけないのでとても面倒だ。

 

そしてTwitter(現X)にも何度か書いたが、Wi-Fiが不具合により通っていない。

この不具合が解決に向けて動き出すまでかなり時間がかかったし、現状でもいつになれば直してくれるのか分かっていない。その間の代替機としてポケットWi-Fiが数日中に届くらしいが、それまではノンWi-Fi生活を余儀なくされる。しかもここまでたどり着くのに回線業者や管理会社などに連絡を重ね、本来俺がやるべき部分ではないところまで連絡を繋いだりしているので非常に面倒だ。

最近有り得ないくらいYouTubeを見ていたのだが、Wi-Fiが無ければそれも難しくなる。苦しい。

 

引っ越しをしてみた感想として、寂しいしか出てこない。

前の家に越してきた時は実家→一人暮らしだったのに全然ホームシックにならなかったが、一人暮らし→一人暮らしの現在、有り得ないくらいホームシックになっている。

前の家の住み心地が良すぎたのもあったし、三年間色んな思い出を共にしてきて、一緒に変化して成長していった「自分の家」って感じがしてほんとうに落ち着く大好きな我が家だったんだよな。勿論不満点もあったけれどその全てを愛せたし、何より街の雰囲気が好きだった。東京という場所の中で無理して個性を出そうとしていないところとか、大きいスーパーがちゃんとあるところとか。

引っ越してから数日、ずっと新小岩が恋しい。

今の家が無駄に広いのも寂しさを加速する原因になっている。契約当時は「一人なのに1DK住んじゃってるぜ俺~」とウキウキだったのに、いざ住んでみると広い家に対して俺自身の面積が小さすぎて虚しくなる。俺は6.3帖の1Kが丁度良い人間だったんだよ。

Wi-Fiが無いのも孤独感を加速させる。現代社会において、安定したネットワークはそれすなわち人と人、心と心の繋がりに直結する。

知らない街の広くて静かな家に一人でいると、なんだか俺って誰とも仲良くない孤独な人間なのかと錯覚してしまいそうになる。古い物件というのも、なんだか中途半端にノスタルジーを感じさせられて切ない気分になる。備え付けのクローゼットもダークブラウンで部屋が全体的に茶色いし、床のフローリングも茶色なのであまり明るい気分にはならない。おまけに手前の部屋には窓が無いので日当たりが悪く、朝でも電気をつけないと暗い。

はるか昔、あまり知らない親せきの家に一人で預けられて親の迎えを待っている時みたいな不安感が常にある。

新小岩の家に戻りたい。また駅から15分、文句を言いながら歩きたい。いくら駅から家が近くなったって帰りたくなければ意味が無いんだ。

今の最寄駅から新居まで帰ってくる途中、なんだか悲しくなって少し泣きそうになってしまった。もう俺が新小岩のあの家に帰ることは無いんだあんなに想い出が詰まった家なのに。たくさん友達を呼んで夜通し喋ってオールしたのもあの家。初めての彼女が家に来てドキドキしたのもあの家。友達の家で夜を明かして朝に帰ってきた時、出ていった時のまま俺を何度も迎え入れてくれたのもあの家。大学やバイト、就職活動から疲れて帰ってきた時あの小さな家でご飯を食べたことがどれほど活力になったか。部屋が寒いって言い続けても当たり前だけど最後まで暖かくはならなかった、それも良い思い出だ。

最後の方引っ越しが辛すぎて「早くこの家出ていきたい」と一度でも思ってしまったことが何だか申し訳なくなってきた。あの家は学生マンションだから、どんなにお金を払ってももう二度と住むことはできない。なんで俺ってこんなに変なところだけ繊細なんだろう普段は鈍感でしょうもない人間なのに。

今の家はまだ全然俺に馴染んでいない。帰ってきた時他人の匂いがする。物がどこにあるか俺ですら把握できていない。広い家の中で身の置き場が全然定まっていない。ユニットバスでかがんで頭を洗っている時、俺の人生って今このタイミングで間違ってしまったのではないだろうかという考えが、斜めに傾けた頭の中を滑り落ちる。

早く自分の家になるように、どんなに苦しくてもこの家を愛するしか無い。

 

とりあえず今は早く大喜利がやりたい!!家は変わってしまっても、根幹の部分の日常は何も変わらないでいたい!!明日(日付にして今日)久々に大喜利の予定が入っているので結構それに救われている部分がある。忙しすぎて親以外の誰かと会話をしていない、笑っていないのも良くない。とにかく引っ越しの大部分は終了したので、あとは生活を確立させるだけだ。

 

YouTubeが見れない夜に、アメトーークのありがたさを知った。最近地上波のテレビを全く見ていなかったが、久しぶりに見ると面白かったし、無音の部屋を誰かの笑い声で埋めてくれるのは本当にありがたかった。明日は業者関係の来客予定があって少し早起きしなくてはいけないので、ラビットとか見ようかな。早くこれが日常になる日を、心から願う。