12/24

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クリスマスですね~~~。

クリスマスってなんか普通に好きだ。最近はもう昔ほどワクワクすることは減ったけれど、それでも特別感というか、自分の中の感覚が明確に「クリスマスだ」と、レバーを引いたようにスイッチする。俺は結構イベントごとよりも普段の日常の平穏さの方が好きで、ルーティン化された安定の中にいたい人なんだけど、やっぱり年末はそんな日常を飛び越えて、皆の元に特別を届けるから凄いと思う。

小学生の頃はクリスマスプレゼントにゲームとかを買ってもらって、夜寝ている間に机にプレゼントが置かれていて、朝早く起きて目をキラキラさせて遊んでから学校に行ったりしていた。当時住んでいた地域が家庭でイルミネーションを飾る文化が盛んで、うちはやっていなかったけれど、夜になると親に連れられて住宅街とは思えないほど眩く着飾った家々の間を散歩したものだ。当日の夜には結構ちゃんとしたクリスマスのメニューが食卓に並んで、今思えばうちの親は俺が小学校の頃までは行事ごとを大切にする人だった気がする。

中学生になるころにはクリスマスの特別感はかなり薄れてしまった。普通の日と変わらず部活があったからなあ。中学生の頃にクリスマスを感じた記憶が無いので、2014~2016年の間はクリスマスが日本に無かったのかもしれない。皆さんはこの期間どうでしたか?

高校は友達と家でお菓子パーティみたいなのをした記憶がある。親が居酒屋を経営している友達がいて、その居酒屋を借りてご飯をご馳走してくれたような気もする。

 

イルミネーションとか、俺は全然楽しめる人だ。だって綺麗だし。行きたいな~イルミネーション。東京に来てから大井競馬場のイルミネーションしか行ったことが無い!あそこはイルミ自体もめっちゃ豪華で凄いし、少し離れたところに馬が普通の顔して居るのが面白い。そりゃ馬にとってはクリスマスだろうが何だろうが関係ないことなので当たり前だが。逆に普段自分たちが走るトラックが急に光り輝いているのを見て彼らは何も思わないのだろうか。ギャンブルをしないので、人生で唯一競馬場に訪れたのがイルミネーションのためなのもなんか面白い。あと意外と最寄駅から歩きますよ。

 

これは特にある程度の年齢になってから思うことだが、クリスマスの何が良いって、世のカップルたちが幸せそうなことである。これはちょっとキモい話になるか、とも思うが、俺は全然カップルに対して怒りを感じたりすることが無い。幸せそうな二人組とすれ違ったりするとマジでそれだけで俺まで幸せな気持ちになれる。Instagramのストーリーでカップルが写真を多く投稿するのがこの時期で、そういう投稿を見ると幸せのおすそ分けかと思ってしまう。

試しに街にいるカップルたちに対してどこまで腹が立つのか考えてみたことがあるが、改札前で別れ難そうにキスをしているカップルまで平気だったので(見てたらキモいのでそんなにじろじろ見ていないが)多分全部平気なんだと思う。

逆に幸せそうじゃないカップルを見ると「ひん……泣」と思ってしまう。こういう話は大体Twitterとかで流れてきて、そのたびに胸が締め付けられる思いがする。

その点クリスマスに会うカップルは仲が良い(会わないカップルの仲が悪いと言っているのではなく、仲が冷え込んでいるカップルはクリスマスに会おうと思わないのではないか)ので、俺の視界から見える世界は愛に溢れているように感じられて素敵や!

愛する人とクリスマスや年末を過ごす皆さんは、少なくても何の関係も無いこの俺をも幸せにしているんだなと思ってください。

 

昨日から言っている「むらさきのスカートの女」を読み終わって、やや不安さんにお返しした。ちょっと凄すぎる作品だった。ジャンル的には純文学らしくて、エンタメ系の小説を読むことが多かった俺には鮮烈で斬新な作品としてくっきりと印象付けられた。昨日「正常と異常の境目が分からなくなる」みたいな感想を書いたけれど、読み終わってもそれは変わらず、むしろ物語後半で主人公の「正常な異常性」は加速していき、語り手が異常さを担うことで作品全体の描写が信頼できなくなる不思議な感覚に襲われた。調べてみたらこれは叙述トリックの手法の一つ「信頼できない語り手」というものらしく、ミステリなんかでも良く使われるとか。代表的なものに芥川龍之介の「藪の中」という作品に使われているらしい。

結末も何というか、正解が出ないというか、読み手によって解釈が分かれるというか……。こういうシンプル且つ考察の余地がある作品は好きなので、感想だけでなく色々な人の考察まで読み漁ってしまった。小説世界自体の現実性からメタ的な視点で解き明かそうとする人もいれば、語り手の孤独に迫る裏テーマがあると主張する人もおり、皆それぞれの角度から独自の見解を推し進めていて、どれをとっても興味深かった。語り手(黄色いカーディガンの女)そのものを本当の都市伝説とする説が、自分には無い発想で感嘆した。

俺の見解も載せておくと、作者は日常の中に潜む狂気を描きたかったのかなと思う。一見大人しくて無害そうに見える人だったり、存在感が無かったりする人が裏では狂気性を孕んでいてストーキング行為や過剰な執着を覗かせる。黄色いカーディガンの女を通して、「ヤバい奴」はすぐそこに迫っている、という恐怖を描き切った作品だと思った。勿論それ以外にも噂がすぐに広がる閉鎖的な性質を持つ職場の恐ろしさだったり、子供の無邪気さ、むらさきスカートの女の主張は信じられなかったのに、所長がつき続けていた嘘が簡単に信じられる歪みなど、様々なメッセージが伝わってきた。

やや不安さん、素晴らしい作品を貸していただきありがとうございます。

 

内定先から配属地の連絡がまだこない!来週だろうか。そういった不安も胸に秘めつつ、寝床に入る。