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まずはこの時間、状況でも日記が書けていることを褒めてほしい。

 

大喜利会が終わった後、東京に来ていた高校時代の友人と落ち合って飯を食い、そのままもう一人の友達と合流して俺の家に泊まることとなった。

ひとしきり酒を飲んだりゲームをしたりした後、気が付いたら起きているのは俺だけになってしまった。

(決してそれを誇りに思っている、はしゃいでいる大学一年生のようなことではなく事実として)生活リズムが夜型な俺はまだ寝なくても耐えられる状況で、しかもあろうことか友人にベッドを取られてしまった。俺のベッドなのに!

というわけで二人が寝落ちした部屋に俺だけが起きてパソコンをカタカタ触っているわけだ。

そもそも一人用の部屋に三人いることに無理がある。遊んでいる時は楽しいからそんなこと気にも留めないが、いざこうして冷静に一人になる時間があるとなんて馬鹿なことをと思う。明日も予定があるのに!

日記を書くのもやめようとおもったが、ここで辞めるとずっと辞めそうなので意地でも書くことにした。俺の数少ない良いところは、自分で決めたことに対して執念があることだと思う。

一つ気が付いたことがあって、俺は寂しいから日記を書いていたのかもしれない。最近本当にバイト睡眠みたいな日々の繰り返しで、勿論間に大喜利をやったりはしていたけれど、友人と会う機会も少ないタイミングで、夜になると途方もない孤独の中に自分がいると実感させられた。じゃあ早く寝て朝を迎えろよ、という話ではあるのだが、起きるのが遅いので一日が短くなったような気がして遅くまで起きてしまう。良くある悪循環だ。そんな中で、寂しさを埋めるように思い立ったことを文に起こす。その作業を通じて寂寞を水で薄めていたのではないだろうか。

そうなると、今日久々に(といっても1週間ぶりくらいか?)友人とたっぷり会えたのは喜ばしいことだ。一人の時間もめちゃくちゃ好きだけど、人と過ごす時間もちゃんと好きでいられる自分に安心したりもする。情けない話かも。

 

こんな状況で日記を続けられたのだから、かなり自信になったというか、長く続くだろと思う。直近だと東北遠征の当日はどうなるか分からないが、文量はともかく、なるべく毎日に近いペースで何かを出力できたらなと思う。

明日も別の友達と久々に激しくカラオケに籠ってから大喜利会の予定がある。幸せな予定に生かされている。

そろそろ眠くなってきたので、俺のベッドで寝落ちしている友人を引っぺがして寝ます。